将来の夢

2022/01/13

~将来の夢~

最近上の娘のじゅりは将来の仕事について悩んでいるようだ。

誰に似たのか意外と勉強ができるので

わたしは“学校の先生にでもなったら”と言っている。

なんとなく下の娘のあんりは床屋になるような気がする(笑

ちなみに自分が進路を決めたのは高3の秋だった。

特にやりたい仕事もなく母が理容師だから何となく選んだ進路。

理容学校は仙台に行きました。

秋田から出たことがなかったので

カルチャーショックを受けた。

周りも知らない人ばかりで結局最後まで馴染めませんでした…(笑

成績は良くはなかったけど最後のテストくらいは本気でやろうと学年4位くらいになりました(60人中)

やればできる男で

~就職~

就職は秋田が恋しくて地元を探しました。

当然秋田の求人など無く地元の道具屋さんの紹介で秋田市のサロンに就職が決まりました。

たまたま若い人向けのサロンだったのが幸いで今に至ります。

(実のところ床屋は2種類存在します。おしゃれbarberとTHE床屋)

ちなみにうちの奥さんの修行先は後者。

仕事に関しては不器用なのでかなり難儀しました。

でも今思うと不器用で良かったです。

うさぎと亀みたいな感じ♪

あとコンテストにも積極的に参加して同年代の方々と腕を競い合いました。

(奥さんともコンテストで知り合いました❤️)

一番初めに出場したワインディングというパーマを巻く種目で

自慢ですが秋田県大会で優勝しました!

相当浮かれていたのでしょう

数日後 交通事故を起こしてしまいました。

天国から地獄とはまさにこのことでした…

〜徐々にお客さんに支持されるようになってくる〜

仕事ができるようになってくると

お客さんにも支持されるようになってきました。

そうなると自然と自分のお店を持ちたくなるものでした。

そして毎日毎日『自分だったらこうするのになぁ』と店への不満がでるようになってきました。(当時25 生意気真っ只中)

でも独立するにはまだ力が足りないのです…。

そこで自分も力がどの程度通用するのかと他のサロンで試してみることにしました。(店を辞める)

これまた道具屋さんの紹介で次のサロンもすんなりと決まりました。

2店舗目のサロンでは支店を任せられました。

自分のできることを精いっぱいやりましたが

まぁお客さんが来ない来ない。

3日連続お客さんが来ない日もありました。

『これはきっとお店の場所が悪いんだ!』(嫌われる性格第1何かと言い訳をする)

でも自分の店ではないので

店の場所も変えれませんし外観も変えられなければ値段も変えられません。

与えられた条件で勝負するしかないのです。

そんな感じでこのサロンには2年勤めさせてもらいました。

2年間でしたが徐々に売上げが上がってきて手応えを感じました。

~独立に向け本格的に動き出す~

独立に向け本格的に動き出しました。

といってもなにから始めれば良いのかわからずとりあえずどこで独立するかを決めました。

”少なからずお客さんが付いた秋田市内に出店するか、実家のある羽後町に戻るか”

そこで当時交際していたなつみさんに紹介してもらった占い師に

『地元で開業したほうが運気は上がるよ』と

言われたので地元で開業することにしました。(意外と簡単な男)

~実家に帰る~

彼女とお客さんを置いて

地元に帰ってきました。

さて?なにをすればいんだ!?

『そうだ場所を決めよう』

と思ったらなんと親がいまの場所を用意してくれていました。

“いやいや待ってくれ✋”

羽後町では勝負はできない。

もっと人口の多いところでないと勝ち目はないと

湯沢市で探すことにしました。

偶然 湯沢インター近くグランマートの隣に空き地があってそこを狙いましたが

売ってはくれませんでした。

あくまでも条件は貸すということ。しかもかなりの値段で…。

泣く泣く親の用意してくれた土地に建てることにしました。

当時 建築の知識が無かったのでとりあえず

土地を分譲してくれた業者さんにお願いすることにしました。

当たり前ですが店はすぐには出来ませんでした。

結局店が完成したのは8ヶ月後の12月(当時28歳)

~人生初のプータロー期間~

さぁこの8ヶ月なんとしようか!?

貯金は10万円ほどありましたがすぐ底を尽く。

とりあえず実家のバーバートガシで友達を散髪してお小遣い稼ぎをしました。

その稼いだお金で飲み会に積極的に参加してお客さんを探しました。

日中はというと たまたまスポ少の方からスカウトがきてコーチをやっていました。

(子どもたちをお客さんにしよう作戦が見事に的中する)

~スタッフを募集する~

「あっスタッフがいなかった…」

慌ててハローワークに行き求人を出したのを覚えています。

しかし誰一人応募はありませんでした。

ここは最後の手 未経験者まで範囲を広げました。

幸い友達が1ヶ月間手伝ってくれることになりました。

開業2週間前 求人を見て

うちで働きたいという若い女性が現れその場で採用しました(未経験者)

開業1週間前またうちで働きたいという連絡がきましたが未経験者の60代女性だったので丁寧にお断りしました。

~ついに開業を迎える~

開業を迎える前日

全然店が完成していなかったんですw

こればまずい!

工事が遅れに遅れて駐車場は前日にコンクリートが入る始末。

店内は音響の配線が全くされていない状態。

家族総出では足りず友達に声をかけまくり夜中まで手伝ってもらいました。

駐車場はコンクリートが固まらないのでコンパネを敷いて

そこを渡って店に入るようにしてもらいました。

続々とお祝いの花が届き

開店の準備が整いましたが

ここにきて極度の不安に陥りお祝いどころでは無くなりました。

~怯えながらの開業~

開業当日!

こう見えて臆病なので本来の力を出すことは出来ませんでした。地に足がつかないのです。

”頼む! お客さんこないでくれ”

でも給料は払わないといけないからお金は欲しいw

幸いなことにお客さんで賑わうことはありませんでした(汗

~友達が助けてくれた~

開業から数日

暇な毎日が過ぎて行きました。

見兼ねた友達が助けてくれて家族や職場の人を紹介してくれました。

徐々にチラシの効果も出始めお客さんが少しずつきてくれるようになりました。

“毎日お客さんがチラホラ来てくれる”

当時の僕にとっては一人一人にじっくり時間をかけてやることができたのでよかったです。

この頃 失敗をしては失客もしてネガティブになるばかりで

毎日自己啓発的な本を読んでいましたw

なんとか給料は払えましたが自分にお金が入ってくるようになるまではかなり時間がかかりました。

~失敗は成功のもと~

失敗はほんと落ち込みます。

なんで自分はダメな人間なんだろう↓

気分が落ちては徐々に気力が出てきて這い上がる日々↑

開店からしばらくはこの繰り返し。

しかしそれが何年も続くと知識と経験が増えていき

少しずつ思い通りに仕上げられるようになっていきました。

~まだまだ発展途上~

“お客さんが来なくなる”

これほど怖いものはないので

もっと努力をしたいと思います。

これまでの経緯を振り返ると半人前でしたが

早い段階で開業して良かったです。

「若いうちは技術と知識はないが絶対的なエネルギーがある。

誰よりもいいものを作る自信。そのエネルギーが仕事を突き進める。そして何より失敗から得るものは財産になる」

byとんが